20代から思っていたことのひとつに、わたし(精神障害者)は働いて人並みに暮らしたい、しかし、弱点があるので、十分には仕事ができないだろうとの漠たるものでした。
40年の歳月を経て今言えることは、精神障害者も人により程度が異なるので一概にこうとは言えないことを留保しながら、概して、人と仕事をいっしょになってするのはきわめて困難と言えます。
まず健康度が違う。基礎体力で負けます。そして、他人との競り合いに負けます。いや、最初から苦手で避けてしまいます。
施策は貧弱で、実態に合いません。たいがい、パートアルバイトの地位を初期設定していると推量されます。これでは生涯設計はおろか1〜2年の生活設計も成り立ちません。生涯を単身で暮らせと言われているようなものです。
経済力をつける意味の施策がありません。十代好発年齢と知れ渡っている精神病に対して、この面の手当施策はありません。学校についていけず、学習が遅れまたはできずでは、その後、人生をあきらめろと言わんばかりです。
就職活動を援助する機能は以前からありますが、就職できてからがいかに重大問題かが公にされないままです。
わたしは、何度か就職しましたが、いじめはどこでもありました。働きがいについては、あることがまれでした。障害者雇用として採用されても、たいした仕事ではありませんでした。ただ、時間から時間までいるだけ、それだけを求められました。仕事に意義を見いだすなど問題にする以前でした。
この国の精神障害者施策は失敗です。本人に責任を負わせすぎます。
精神障害者を取り巻く周囲、いわゆる、社会を改良しなければならないところ、しかし、この大多数を占める人たちからなる社会は既存の既得権益というか、微温的情緒的に行われる会社帰属意識の高まりとしての反対面の秩序維持のもたらす結果、地位の低いものを差別していきます。
残念でしたが、わたしは、この社会に挑戦することがとうとうできません。しかし、これからの人たちには、社会を改良していく力を担っていただきたいと、一心から願いを込めております。
まだ人生は続きますから、わたしは、精神障害者に光が届くように、できることは小さくても、この方面で生きていきます。
さて、どうするか? |
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