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まだ道半ばです 削除/引用
No.115-103 - 2010/09/22 (水) 10:25:37 - ペッパー
昨日、テリーイーグルトンの「宗教とは何か」を図書館で読みました。1回読んでもよくわからないので、買うことにしました。
教義の内容を踏まえた上で、哲学・思想と関連付けて社会現象(9.11/ブッシュ政権)を批判している良著だと思います。(ドーキンスの『神は幻想である』に対して宗教擁護を展開しています)

私は、外傷体験を克服する術を自分なりに検討している者です。
手法としては、宗教を用いたいと考えていますが、それがすべてではありません。
私には、神学が「神の前に人間の自己優先を放棄せよ」と脅迫しているように思えてならず、それがなぜ人間を浮かび上がらせ、心の平穏を約束するのか今一つ理解できずにいます。自分の優先順位を下げよと叫んでも、それが如何に困難かを考える時、宗教の根本は人間否定にあるように思えてなりません。(人間否定がなぜ真理であり幸福なのか)
聖典は抽象概念で書かれており(愛・永遠など)、自分の言葉で説明するには難しい世界です。しかし、ここを理解しないと、教義にただ盲従するだけになってしまうと考えています。

蛇足ですが。 削除/引用
No.115-102 - 2010/09/21 (火) 15:10:11 - 成宮
耳を傾ける必要のある意見もあれば、無視するべき意見もある。
頼りにすべき人もいれば、そうでない人もいる。
救ってあげるべき人もいれば、そうでない人もいる。

相手によりますね。

最優先するのは 削除/引用
No.115-101 - 2010/09/21 (火) 15:07:56 - 成宮
誰を最優先するかはケースバイケースだと思います。
自分を最優先に考えることが必要なケースもあれば、他人に譲る・他人を最優先にすることも必要なこともあるような…。
自分を殺して苦しくなることもあります。
自分を大切にしつつ、他人との調和も大切にできるようになるのが良いと思っています。

トラウマについて再び思うこと 削除/引用
No.115-98 - 2010/09/21 (火) 11:14:42 - ペッパー
外傷体験は程度の差こそあれ、一生次々に発生してきます。
5年以上継続する外傷体験は、

●外傷体験に付随する何かが本人にメリットをもたらす
(それを主張すると他人に優しくされる/権利を保障される/優越感をもたらす)

●外傷体験に纏わる感情が癖になっている(怒り・不満・愚痴・攻撃)

●現在の生活体験の中核感情が外傷体験感情と類似しており、強化されている
(上司の不満をまったく違う外傷体験感情によって発散/自国の国家体制への不満を他国に関する外傷体験感情で発散←これはちょっと違うかな)

トラウマについて思うこと 削除/引用
No.115-96 - 2010/09/17 (金) 09:52:28 - ペッパー
トラウマが生存レベルで邪魔になると仮定すれば、生物は必死に適応を図ります。人に語る、混乱する、沈黙する、激怒する、様々なバリエーションを経て薄められるだけ薄まった記憶は、もはや意図的に捨てる(無にする)しかありません。

人間は薄情なもので、相手の事は結局は理解できません。医師やや医療従事者が聖職のように語られていた時代にも、数多くの失敗が繰り返され、充分な謝罪も行われませんでした。相手に期待するのも時代に応じた限界があり、結局親兄弟も含めて、他人は自分の思う通りにならないと悟ったほうが、自分が歪にならずに前向きに生きられるでしょう。純粋な'愛情'なんて存在しないと考えたほうが、思わぬ愛を受けた時に感謝の気持ちも湧くと思います。

苦しい時代に出会った宗教は、更に私をを神の「しもべ」とこき下ろす難物でした。「神に従う道が真理で、自分の信念は邪道である」この認識に至るまで数年では足りなかったです。無駄な憎しみに拘泥する私を徹底的に叩きのめすには、人間超越の権威が必要だったのでしょう。宗教は決してお勧めの方法ではありません。

薄まった外傷を捨てるには、まず生物の適応力であり、次に自分の拘りを無にする力です。カウンセラーに頼っても、人間同士の生の次元の差異に愕然とすることでしょう。
どうやって無にするか、自分の特性を生かして試みていくしかないと思います。

ゴラスさんへ 削除/引用
No.115-95 - 2010/09/11 (土) 00:06:49 - いのたま
テーマからずれているという印象は持ちませんでした。
精神科の患者が他科でいやな思いをすることは少なくないですね。

だいぶ前、看護師のようこ1号さんが、看護師の研修もローテーション方式が良い、精神科に偏見を持たないようローテーション式を、と書込んだのを思い出しました。
ようこ1号さんは、今は看護学校で教鞭を取っています。
精神科の患者に偏見を持たない看護師を育成したいそうです。

すいません 削除/引用
No.115-94 - 2010/09/10 (金) 23:34:50 - ゴラス
昨日の自分の投稿、テーマからずれてましたから、削除しました。ごめんなさい。

(無題) 削除/引用
No.115-91 - 2010/08/29 (日) 14:26:58 - いのたま
慧さん書込みを自分で削除したんだ…。
あらかた覚えてる。メモしておこう。

慧さんへ 削除/引用
No.115-90 - 2010/08/27 (金) 21:09:14 - いのたま
「知人」ですよね。
家族、恋人、親しい友人のことなら、最初から該当トピックに移動するよう、お伝えします。
私がやらなかったのは「知人」の介入は、人権上どうなのか判断が難しいからです。

お知合いご本人が当サイトに来られるのがベストです。
トップページから入り、ざっと閲覧して、掲示板を利用する際はまずメイン掲示板で自己紹介するよう、お伝えください。
(最初の書込みは自己紹介を兼ねて必ずメイン掲示板で、とお願いしております)

いのたまメンタルヘルス会議室
http://www.inotama.jp/

携帯からのアクセスでも、閲覧・書込みできます。
メール相談は基本的に応じておりません。

慧さんへ 削除/引用
No.115-86 - 2010/08/27 (金) 00:56:45 - いのたま
お知合いの件はトピック違いです。

Re:認知行動療法について 削除/引用
No.115-84 - 2010/08/25 (水) 13:41:20 - いのたま
認知行動療法より、発達障害か否かの診断が先です。
成人の発達障害を診断したり、診察する医療機関は、数は少ないですがあります。

ただ、児童と違い、成人の発達障害は専門的なサポートが非常に少ないです。
大人になってから発達障害と診断されて、「どうしたらいいか、わからない」と戸惑う人がたくさんいます。
お知り合いご本人の意思や希望がなければ、慧さんから何も言うべきではないです。

一つ伺いたいのですが、慧さんはどんな方ですか?
他の書込みを拝読して、気になっております。

新しい父 削除/引用
No.115-81 - 2010/08/20 (金) 12:19:19 - ペッパー
私はプロテスタンですが、個別に尋ね何人かのカトリック司祭に会ってきました。最近お会いしたA司祭は、「人間は愛を知れば知る程、自分からより多く与えるようになるのです。」と話されました。

恐らく司祭も「一人の人間」に過ぎないのでしょうが、敢えて「神に近づこうとしている精神」に注目してきました。やはり「人間」は完全とは言い難いものですが、人間を用いて運命を配置する神に思いを馳せない時はありません。

精神科を受診し、不幸にも医療的トラブルに遭遇してしまいました。親子仲が悪くなり、社会的不成功も相まって親を蔑視し憎んできましたが、この僕にも「新しい父親」ができました。10年以上前他界した実父に代わる「天の父」です。

教会員を家族と呼ぶには程遠いが、神を父と認識するようになりました。discover seriesの"God Our Father"は役に立ちました。生まれ変わり、新しい自分を実践していきたいと思います。「現在の父」に従い、過去の家族を清算していこうと考えています。(この世の生まれは神が定めたもので、神の名において振る舞うことが求められています)人間を赦すといった神の性質を身につけることが人間社会の成功です(神の性質はこれだけではありませんが)

遠い将来僕は一人になるでしょう。
「最後の瞬間まで、あなたの子供です」
今考えれば、実父との関係もとるに足らないつまずきでした。
人間社会では手に入らなかった関係性を獲得することができました。

長々と読んで頂きまして、感謝の気持ちで一杯です。

私の関心は、犯罪被害者の人生動向です 削除/引用
No.115-69 - 2010/08/09 (月) 10:55:51 - ペッパー
精神医療により精神的苦痛を味わい、医者通いをやめ、医療に幻滅し、役所の判断に傷つけられ、周囲の反応に屈辱を味わい、医療と自分の人生を怨んできた私の生活。運命は不平等であり、信憑性があっても敗訴する民事裁判の現状に、他人の怒りもまた目の当たりにしてきました。

最後に大きな壁となったのは、理不尽な結果に対する決して消えない憎しみであり、人生に対する否定感・屈辱感・後悔・恨みです。若くして味わったでき事と、それに纏わる人間の冷たさが本当に精神に刻み込まれました。

◆私が関心を寄せるのは、非情な事件に依って人生を踏みにじられた犯罪被害者の動向です。以下、それを引用します。

長谷川死刑囚が処刑されても彼への怒りや憎しみは癒されなかった、被害者遺族の生活は何一つ変わらなかったと原田さんは言います。このような体験から原田さんは、「被害者感情」を死刑執行に利用することに反対し、加害者と被害者の面会の場を設けること、被害者側の救済・支援の重要性を訴えています。
  〜〜〜〜〜〜「被害者感情と死刑」東京拘置所のそばで死刑について考える会(そばの会)より〜〜〜〜〜

◆人間の精神性とは、事実をどう受け止めるかという一点にかかっています。感情を超えた精神性の追求にこそ、真の救済と自由が存在します。

◆カウンセラーが言うような、生易しい机上の空論ではなく、自分を真に開放するとは茨の道であり、人間生活のすべてが一種の偏見・思い込み・自己執着で成り立っており、裏返しから自分を見つめることは非常に困難で、「他人から指図されたから行う。それが美徳だから行う」などという類のものではないのです。カウンセラーが被害者自身となりながら犯罪者から自由になり、自らが相手の命を尊重しなければ説得力も生じません。想像することと、自分自身葛藤しながら自分の体験を塗り替えていることは決定的に異なるのです。

神田橋氏の言う謝罪と現実問題 削除/引用
No.115-61 - 2010/07/15 (木) 17:11:07 - ペッパー
私が10年切望してきたのは、「謝罪」であり、私は1年前カウンセラーに「同じ臨床家として謝罪してもらいたい」と伝えました。カウンセラーは、「自分は謝罪しない」と1年後話した時に答えましたが、私は理由を尋ねませんでした。私は、「この話を聴けば申し訳ないとの気持ちが起こり謝罪したくなるのが自然だと思うので」と謝罪を促す要求をしたのですが、、、、、。

当事者の医者や事情をよく知る医療従事者は、謝罪せずに排斥する、自分たちの正当性を主張する道を選んでいます。
神田橋氏は、解かっているようで解っていないのです。

謝罪するのは、確かに正しく、最も効果的かつ唯一の方法なのですが、現状ではそれすら難しいのです。現実には謝罪という行為は、医原症であるか無いかも吹き飛ばす高いハードルです。究極の状態では、医者は「医原症では無い」と診断し、患者は「医原症である」と主張すると思います。少なくとも私のケースは、お互いの主張が平行線を辿り、相互を罵倒し各々が自分の正当性を言い張るという状況でした。

もはや、医者は治療なんてどうでも良いのです。「自分に非が無いこと、相手に非があること」-------それが最も重要なのです。
医者が医者たるを捨てた処で、いかにして問題を医療的に解決するか、という困難が医原症の問題には存在するのです。
この問題は医療的な問題ですが、医者と患者と言う関係性は、お互いにとって厄介な問題を孕んでいるのです。この状況に立てば、”誠意””信頼”という言葉が、もはや中身を伴わない形だけのものであることに気付くでしょう。

心理臨床家からみた医原性神経症 削除/引用
No.115-60 - 2010/07/15 (木) 16:51:05 - ペッパー
「精神療法面接のコツ」岩崎学術出版社 神田橋  修治

喪失体験と抱えられの不足と揺さぶりの介入とが組み合わされると、悲惨な結果が生じる。校内暴力、家庭内暴力、医原症などはその典型である。なかでも、あとの二つは、揺さぶり行為の基盤が善意であるので、悲惨はさらなるものとなる。近年、精神療法家がこうした不幸に治療者として関わる機会は増えている。治療的関与の骨格を医原症を例にとって示しておこう。前二者への治療的関与の骨格も同じである。また、これ以外にも、同様の治療的関与が中心となる場合は少なくない。すべて、自己あるいは他者への暴力が結末となる事態である。医原症の場合は、手首自傷あるいは告訴が結末となる。そうした行動を支えるエネルギーは、「悲しみ」というコトバに最も近い内的雰囲気である。それがしばしば、怨念の表現形をとるのは、主体の自助活動の成果である。
基底に流れる悲しみと怨念に対する、唯一の治療的関与は謝罪である。過去の治療者を含めた治療者集団、を代表して謝罪することが、自然な振る舞いである。南京大虐殺に日本人として謝罪する、絶滅してゆく地球上の種にたいしてヒトとして謝罪するのと同じである。患者が子どもであれば、大人の代表として謝罪の姿勢を示すのが人として自然である。そのさい、早々と謝罪するのではなく、自分の謝罪という行為が、自分自身にとってもやむにやまれぬ行為となるまで、そこまでの気持ちのたかぶりに到達するまで、待つのが定石である。これは、謝罪というヒトとしての自然な気持ちを、単なる技法として用いてしまうことがないように、自己へ向けておこなう技法である。しだいに高まってくる申しわけなさの気持ちを抱きながら、患者の悲惨な歴史と悲しみと怒りとの的を引き受けるのが抱えであり、早々の謝罪はむしろ揺さぶりの技法である。医原症ならびにその近縁の状態への治療的関与にさいしては、精神療法とは何か、との自問を一貫して心の片隅に置くのがコツである。

医原症の治療法 削除/引用
No.115-59 - 2010/07/12 (月) 16:49:47 - ペッパー
浮かんでくる考えのことを自動思考というらしい。
「小さいことにくよくよするな」(かなり昔に読んだ)では、一日一万回以上の雑念が浮かんでくると書いてあった。
考える時間を作らないため、忙しくしていたこともあった。(デールカーネギーが忙しくせよと書いていたので、マラソンをしたりしたが、これって一種の自傷行為か?)

今試みている事は、、とにかく考えないように生活するということ。
元々神経症だったので、医原性の神経症にかかったのかもしれないが、
自分が精神科医を受診したということさえ、脳内から消してしまうことである。
自分の体験が社会の役に立つかもしれないと考えていた時もあった。我ながら、馬鹿だったと思う。他人は、想像以上に冷たいものである。自分を癒すのは自分しかいないという答えに辿りつくと寂しいものであるが、その方が変な期待もなくベタベタしていなくて気持ちの良いものかもしれない。

人間、いつかは死ぬのだ。生産的なことにエネルギーを向けるべく、前向きに努力していかなければならない。精神科医の顔を見る時間と金が省けたと思えば良い。
医者は病気を治してくれると思っていた10代が懐かしい。まさか、通院して考えが正反対になるとは予想しなかった。しかし、今はそれを考えないことにするのが目標である。理不尽な事と思うが、これも医者の思う壺か。医者に嘘をつくのは問題なくなった。あとは、思考の外に追い出すまでだ。

補足 削除/引用
No.115-57 - 2010/07/12 (月) 12:48:19 - ペッパー
■補足

(1)医原性疾患とは、具体的にはどういう状態かという定義がまず必要です。医療を受けた事によって発生した病的な状態と一概に言ってもはっきりしません。
*病院に行くと気分が悪い。医者と話すと不愉快である。治療を受けると具合が悪くなる。
これは、私の症状ですが、具体的な内容を挙げなくても医療に継続的にかかることは難しいかもしれません。これが病気かどうかは一概には言えませんが、もはや治療は困難です。こうなるに至った内容を挙げると、精神的被害と言えるかもしれませんが、やはり病気かどうかは判断できず、一種の心因反応かもしれません。

この状態を前提として、
(2)医療に期待できるレベルとはどの程度か
と考えます。
医療に不快感を持っている人間の不快感を解消することが可能か?
ということです。それには、具体的にはどのような結果が有効か?果たしてそれは可能か?という風に考えていきます。
私の場合、医療の不当行為についての謝罪なのですが、
それは相手から得られない行為なので、「不可能」ということになります。
よって、謝罪以外の医療行為で可能か?という検討が必要です。
ここで、私のケースが不当解雇や不当な離婚に対するのと似たような要求である事、もはや訴訟関連しか解決できない内容である事から
安定剤で気分を紛らわせる位しか対処方法がない結論に行きあたります。

(3)私は病気か
治療は、安定剤位しか無いとして、果たして私は病気でしょうか。
気分が不愉快になるというのは一種病んでいる状態かもしれませんが、
もし病的状態と定義するとしたら、原因は医療で不当な行為を受けたためということになります。医療を受けたことにより病的状態に至ったということです。私がそう主張すると、私を嫌いな医師は、私が異常器質・異常性格・特別な例・予測不可能なケースと指摘してくるかもしれません。こうなるとどちらが正しいのか解りません。

病院の原因なんて何でも良いのかもしれません。
問題は私が医療利用者となるかということで、
医療行為を受ける医師がいれば病気の治療行為が成立するのです。
つまり、医療とは相互契約であり、
決まり切った定義は無いあやふやな概念なのです。

医原性疾患の解決方法 削除/引用
No.115-56 - 2010/07/12 (月) 10:18:44 - ペッパー
昔は、医原性の悩みを(医者との紛争)を医療に癒して欲しいと思っていたものだ。現在は、もう忘却しかないという結論に辿りついた。

他人は、(医者でもそれ以外の他人でも)勝手な事を言うものだ。

自分が傷ついたと主張する時、「その傷つきは正しい」との前提に立っている。「果たして本当にそうか?」自分を疑うことからスタートすると、自分の身体・精神感覚を捨てることの意味が見えてくる。

「自分の精神感覚は本当に正しいのか?」
この数年、何もかも疑うことで乗り切ってきた。自分を含めて、すべての価値を疑うことは医療には無い。絶対的価値なんて存在しないと思う時、いつも決断すべき局面が目前に迫っているのを感じたものだ。

瞑想して、すべての過去と主観から解き放たれ、常に最高の精神的平穏をもって、目前の状態を認識すること--------断言を避け、医療というものさえも、ある面、歪められた価値観であることを認識すること。
勿論、歪められたというだけであり、正しいか誤りかなんて判断できない。

物事は暗黙の前提により、歪められ、我々は現在通用している規範を、あたかも真実のように誤解して生活している事が多い。その上で、自分に対しても疑問を投げかけていく..............
医療から離れ、自由になった。
医者の顔を見ることもなくなり、平穏になった。
医療を受けることもなくなり、現在は自分を取り戻してきている。

「去るもの日々に疎し」とはよく言ったものだ。
統合失調症と判断されたこともあったが、
私は医療を拒否する。
カルテを開示したが、得るものはなかった。
私は病気だったのか?ただ、曲解の狭間で葛藤に陥っていただけではないのか。
医者は正しいのか?その時代時代の治療概念に振り回されているだけではないか。

カウンセラーが果たして他人を治療できるのか?
本人自身でさえ、自分自身の正しい認識に迷い、絶対的価値なんて存在しないと感じ、決断すべき局面が目前に迫っているのに焦りを感じるのだ。

だからこそ、自分を全ての価値観から解き放って、社会・世間の規範を凝視していこう。医原性疾患の解決方法が見えてくる。

訴えたい位、腹立つけどお相子の面も 削除/引用
No.115-55 - 2010/07/11 (日) 21:02:54 - つかさ
リタリン内定の時、信頼の置ける医師の依頼で、ちくったった。
リタリンの他、サノレックス、バイアグラも置いていると。
あとおまけに、尼崎(阪急沿線の)のクリニックもちくった。
ベタナミン疑惑がある。

P.S.カウンセラーの件 削除/引用
No.115-54 - 2005/09/29 (木) 18:33:55 - つかさ
例のカウンセラーは、お昼寝の途中だったらしく、枕を片付けをしてました。
待合室のソファーで、寝ていたようです。

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