いのたま
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コラム(7)
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第7回★32条の裏事情2005/01/09

この原稿は4年間、封印していた。2001年に刊行した『お金に悩まない こころの治療生活』のために書いたが、読者を不安にさせそうで削除した。今になって公表するのは、2004年秋、厚生労働省が32条削減案を出したからである。

今の状況に合せて、加筆・修正した。文中、「精神障害」「精神障害者」という表現が出てくるが、これは精神疾患全般を指している。「障害」はパニック障害や強迫性障害の「障害」と同じ「病気」という意味でもある。

■もともとは保安のため

 通常は3割の自己負担が5%に軽減される通院医療費公費負担(32条)は精神科のみ適用される。他科では利用できない。「わたしは心療内科に通っているけど、32条を使ってるよ?」という人の通院先は、純粋な心療内科ではない。行政には精神科でも届け出ているはず。これを“裏標榜”と言う。
 そのほとんどはクリニック。「精神科」では敷居が高いだろう、「心療内科」のほうが患者が入りやすかろう、と意図してやっている。

 なぜ、精神科通院だけ5%なのだろうか? それを知るには32条が生まれた経緯を知る必要がある。
 戦後日本の精神疾患関連の本格的な法律は、1950年の精神衛生法に始まる。戦前は欧米に比べて精神病院が少なく、「私宅監置」といって、自宅で閉じ込めていいとされていた(精神疾患が病気だという認識が薄く、狐つきなど憑依と考える人が少なからずいた)。
 しかし、1950年の精神衛生法で「私宅監置」は禁止された。精神疾患は「病気」と認識されるようになり、各地に精神病院が建った。「私宅監置」が病院収容に変わった側面は否めないが、1950年代は向精神薬が生まれた時期でもあり、治療の機会が格段に増えた。

■ライシャワー事件

 ところが1964年、日本の精神医療を激変させる事件が起きる。統合失調症の青年がライシャワー米駐日大使を刺したのだ。世に言うライシャワー事件である。世論は一気に「精神障害者は危険」「精神障害者は犯罪者予備軍」に傾いた。国会も世論を受けて、1965年、精神衛生法を保安色が強い内容に「改悪」する。

 第32条の精神科通院医療費公費負担制度は、この時につくられた。「精神障害者全員を収容したいが、それでは病院が満杯になってしまう。退院できる患者は退院させなければ、どうにもならない」というのが本音だろう。
 では、退院した患者をどうするのか。定期的に通院させて、服薬させなければならない、そのためにはどうするかとお偉い方々は考えた。とくに病識が薄くて、治療中断しやすい患者を通わせるにはどうするのか。

 じゃあ、安くすればいいではないか。他科より医療費がうんと安い医療費なら、病院に行くだろう。そうなれば、犯罪も減るだろう……32条が生まれた背景には、こうした思惑があった。

 では、なぜ5%なのか。この根拠は、どうもはっきりしない。医療費助成制度と考えれば、所得制限があって、所得ごとに上限を設けるのが当然だろう。実際、他障害ではそうなっている。

 私の推測だが、面倒を避けて、とにかく安く、通院させやすくするためではなかろうか。月5千円とか1万円の上限を設けると、医療機関や薬局でいったん支払って、役所で払い戻しの申請をすることになりかねない。これでは患者に手間がかかる。だから、最初からディスカウント、「10%かなぁ、いや、それじゃ高いかなぁ」といった感じで5%になったのではないだろうか。

 条文では5%の自己負担分は自治体が補助していいとされているため、無料で精神科に通える地域が出てきた。東京都、大阪市、広島市……。要するに「タダにしてやるから、キチガイは病院に行け」ということだ。
 さらに、他科で使う薬も適用も容認された。風邪薬から水虫の薬まで、何でも5%で通った。持病がなければ、精神科はホームドクターになりえた。
 まるでディスカウント・ショップである。こんなことがまかり通ったのは、国が「精神科の患者は危険だから、32条というエサを与えて通院させよう」と考えていたからだ。(他科の薬の適用は3年前に中止され、現在では行なわれていない)

■保安から福祉へ

 さて、1970年代から街中のクリニックが増え、1980年代には宇都宮病院事件が話題になり、精神科は次第に変わってきた。かつての収容主義から外来中心へ。この潮流の中で、32条は当初の思惑とは裏腹に機能が変わってきた。社会防衛の制度から、精神疾患を持つ人のための福祉へと様変わりしたのだ。
 同時に利用者も増えた。1970年には約13万6千人だったが、1980年代に50万人を超え、1990年代には70万人を超えた。
 病識をしっかり持つ患者の利用も増えた。「うつは心の風邪」という流行語(?)が生まれ、心療内科が診療科目として認められて精神科の裏標榜が可能になり、精神科の敷居がぐんと低くなった。

 32条の曖昧さも、保安目的から福祉に様変わりするのに役立った。32条の条文はさらっとしているというか、とても曖昧だ。病状や病気を特定していない。一見おかしなようだが、実のところ、こうしておかないと役に立たない制度なのだ。
 病状が重い人、病識が薄い人だけを対象にしたら、比較的軽くて経済的に苦しい人はどうなるだろう?
  所得制限を設けるのも難しい。家が裕福でも家族が「そんなのは怠け病だ」と治療に拒否的な場合はどうするのだろう?
 それぞれの当事者の状況に柔軟に対応するために、グレーゾーンを広く取る。32条はそういう面も持っている。

 1984年に宇都宮病院事件が報道されて、精神病院でのむごい処遇が明るみに出た。「ひどすぎる」という世論が広がり、1987年、精神衛生法は「精神保健福祉法」に改正される。それ以前はなかった本人の同意のもとでの入院(任意入院)が盛り込まれたのは、この時である。
 1993年に一部改正され、1995年には福祉を法体系上に位置づけるために「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(いわゆる精神保健福祉法)」に変わった。精神保健福祉法はその後もマイナーチェンジしている。
 相次ぐ法改正の中で、32条はそのまま残った。精神障害で受けられる数少ない福祉として。だからこそ、つい最近まで削減なんぞされなかった。他科の薬を適用しない“縮小”までだった。

■グランドデザイン

 2004年秋、厚生労働省は身体・知的・精神の三障害の福祉を統一する「グランドデザイン」を打ち出した。32条による公費負担削減案は、このグランドデザインの一つとして浮上した。
 三障害統一の福祉という考え方は結構だが、精神障害は身体障害や知的障害に比べて福祉が著しく遅れている。手帳で運賃の減免とされるといっても、精神では市営バスや市営地下鉄、一部の私鉄バス程度。身体障害や知的障害は、JRや飛行機の運賃も減免になるのだ。年に一度新幹線に乗るとしたら、何万円もの差が生じる。
 それに三障害統一というなら、重複障害を視野に入れて、障害別になっている手帳制度を一元化することが再優先ではないのか。それをせずに、精神障害で受けられる数少ない福祉、32条を削減するとはどういうことか。

 精神障害は他障害よりも医療の重要性が高い。治療を受けなければ、障害が固定化したり、QOL(生活の質)が下がったままになってしまう。医療費の補助は、視覚障害者の杖と同じではないのか。体幹障害の車椅子と同じではないのか。
 せめて、身体障害者と同等の福祉を保障するまで、32条を現行のまま残しておくことはできないのだろうか。

(了)


後記:2005年10月、障害者自立支援法案が可決され、32条による通院医療費公費負担 制度は翌年3月末で廃止されることが決まりました。2006年4月から障害者自立支援 制度の自立支援医療に組み込まれ、患者負担は原則1割となり、所得制限が課せられ るようになりました。(2006年5月記)

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