いのたま
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コラム(8)
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第8回★自傷行為を考える2005/04/10

私は10代の頃、いわゆるリストカットをやっていた。薄く何本も切ったこともあるし、深く切って縫合しもらったこともある。当時は、なぜ自分が自傷行為をするのかわからなかった。大人になって、精神科医やカウンセラーが書いた本を読んで、ある程度は理解できたが、どこか納得できなかった。

リストカットやアームカット、根性焼きなど自傷行為は、一般的には自分の感情や不安をうまく表現できないからだと言われる。確かに、そういう人が多いだろう。だが、もっと深い意味があるのではないか。人それぞれ、違う背景があるのではないか。

ある児童擁護施設にいる被虐待児は頻繁にリストカットしていた。本人は虐待については一切語らない。施設から学校に通い、授業が終わって施設に戻ると手首を切る。黙々と続くリストカットは、虐待の記憶から意識をそらすためだろう。

■脳内麻薬

人間は痛みを感じると、脳が痛みを緩和しようとモルヒネ様の物質を分泌する。私は三十過ぎてから、この現象を実感した。1997年、仕事で嫌なことがあった…正確には、自分では自信満々だった持込み企画がボツになった日、悔しくて思わず手を握った。
ぐっと握り締めるのではなく、なぜか爪を手のひらの、手首に近い部分に突き刺す形になった。

もちろん、ちくっと痛い。その痛みに意識を集中するうち、頭の中がぽわーんと温かくなった。そして直感した。自分がかつてリストカットしていた理由はこれだったのか、と。

それからしばらくの間、嫌なことがあるたび、爪を手のひらに突き立てていた。その頃は精神科から離れていたので、安定剤を持っていなかったし、私はアルコールに弱くて飲酒で憂さ晴らしできない。“爪立て”はちょうどいいストレス発散になった。
「いい年をして恥ずかしい」とは思ったが、爪の跡は1日で消える。他人に迷惑をかけるわけでなし、自分としては許容範囲だった。

この癖は数カ月でなくなった。やめようと思ったわけではないし、環境の変化もなかった。ただ、いつの間にか自然にやらなくなっていた。

この経験から、自傷行為は脳内モルヒネ様物質を人為的に分泌させる手段ではないかと考えるようになった。もちろん、不安や感情をうまく表現できなくて、行動で現わすという一般的な見方は否定していない。それにプラスして、と考えていた。

■儀式としての自傷行為

それから7年後の2004年、私は社会人2年目の女性と知り合った。彼女はリストカットが止められないと語った。そのうち会社の制服が夏服になって、手首では目立つからと腕を切るようになり、いわゆるアームカットに移行した。

彼女は大学卒業間際に恋人を事故で失っていた。即死だったという。私は「自傷行為は、彼女なりの葬儀のあり方」ではないかと考えた。社会人一年目は仕事を覚えるのに精一杯だったが、二年目になって気持ちの余裕が出てきて、ようやう悲しめるようになってきたのではないか。

しかし、彼氏の実家は遠い。家族との接点がなかったから、墓参りに行こうにも場所すらわからない。彼女は自分の手首や腕を切って血を流すことで、恋人の死を悼んでいたのではないか。

彼女は精神科を受診すべきか、何度か私に相談した。だが、私は「不眠など気になる症状があれば、行けばいい」と答えるにとどめた。手首や腕を切る若い女性が精神科に行くと、「境界性人格障害」の診断が下りやすい。安易な判断は、患者を混乱させるだけだ。薬を出しておいて「(人格障害だから)病気ではない」と言う医者すらいる。

過去数年内の身近な人が死んでいたら、自傷行為は本人なりの葬儀とも考えられる。
私自身、リストカットをしていた頃は父の急死の後だった。通夜でも葬式でも、泣かなかった。我慢したのではなく、涙が出なかったのだ。悲しいとも思わなかった。父は、いつものように出勤して、夜には遺体になったから、実感がまったくなかったのだ。父の死後1年くらいは、街中で父に似た背格好の人を見ると、つい後を追いたくなった。手首を切るようになったのは、その後だった。

■失われた文化

恋人を急死で失った女性と知り合った少し後、友人のカメラマンがイラクから帰国した。『バグダッド・ブルー』の著者、村田信一氏。世界各地の紛争地域を取材する“戦場カメラマン”の村田氏はイスラム教徒でもあり、ムスリムの事情に詳しい。

帰国した村田氏を囲んで、友人5人と新宿で飲み食いした。村田氏は、フセイン政権時代は禁止されていたシーア派の祭りを見てきたと語った。
「男が上半身裸になって、鞭を自分で打つんだよ。自分で自分をバシバシと。で、だんだん恍惚とした表情になってくる。かなり昔から祭りでやっていた行事らしい」

はっと気づいた。かつて、ヨーロッパでは修行僧が頭を壁にごんごん打ちつけた。一部の聖地では、今でも巡礼に行く人々が聖地からやや離れた距離から膝で歩く。膝だけでなく、すねも擦り傷でいっぱいになって聖地にたどり着く。
日本には滝修行があったし、時代劇でお馴染の「水垢離(みずごり)」は実際に一般の人々が行なっていた。高位の聖職者から庶民に至るまで、現代人の目には自傷行為とうつることが、宗教や民間信仰の中で綿々と受け継がれてきた。

今の日本はどうだろう? 滝修行は希望すれば可能だが、事故を避けるため、一般人はちょろちょろと弱い水のみ。経験した人は「滝に打たれた実感はまったくなかった」と語る。
いや、自ら滝に打たれようとする人はごく少数だ。ほとんどの日本人は自称「無宗教」で(私に言わせれば「無節操な多神教」だが)、宗教的バックボーンを持っていない。水垢離の習慣は、井戸がある家が激減して消えた。

人類のDNAに自分を痛めつける行為とそれによるカタルシスが組み込まれ、宗教や民間信仰に組み込まれてきたしたら? 今の日本では、こっそり自室でやる他ないではないか。

■自然モデル

だからといって、自傷行為を全面的に肯定する気はない。儀式的なものと違って、ストップをかける人がいないから。深く切って、靱帯を切ってしまうこともある。傷跡が残れば、いずれ後悔する。

私は「自然におさまるのを待つ」というスタンスが望ましいと思う。ユング派が提唱した「自然(じねん)モデル」というか、叱らず、説教をせず、寛容になりすぎない。
前述の児童擁護施設にいる子だが、職員は彼女のリストカットを頭ごなしには叱らない。少し距離を置いて見守るのは、簡単なようでいて難しいが、この施設の職員たちは実践している。

相談を受けた友達がリストバンドをプレゼントして、「切りたくなったら、私を思い出して」と言うのはいい。だが、それ以上、深く入り込むのは避けるべきだ。自傷行為で気を引くことを覚えると、「またリスカしちゃったぁ〜」と依存するようになる。
本人の話に長々とつき合うと、同じことを繰り返し、「もうやらないって約束したじゃない」「でも…」となってしまう。そのうち友達は疲れて、友情は壊れてしまう。

自傷行為をする本人も、絶対やめようと焦る必要はない。間隔が次第に空いて、いつの間にかやらなくなっていたら卒業、と考えればいい。ただし、先輩としては「傷跡が残ることだけは覚悟して」と言っておく。

(了)


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