いのたまメンタルヘルス会議室/運営日誌
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[マリー・アントワネットの父](2010/12/24(Fri.) 13:53)
アルザス起源の発酵菓子は、ベラベッカよりクグロフのほうが何倍も有名ですね。マリー・アントワネットの好物で、オーストリアから嫁ぐ時にフランスに持ち込んだというエピソードは、日本で広まるのに一役買った。

だが、ルイ15世の王妃の父、元ポーランド王でロレーヌ公のスタニスラス・レシチニスキもクグロフが好物だった。マリー・アントワネットが嫁ぐ4年前に死去した人だから、「マリー・アントワネットがフランスに持ち込んだ」は諸説の一つをイメージ戦略にしたのだろう。

この一代前のロレーヌ公は、マリー・アントワネットの父親、フランツ1世。フランス北東部、アルザスの西隣のロレーヌ(ドイツ語読み:ロートリンゲン)は昔は神聖ローマ帝国側、中世後期からフランスと同盟を組んだ。ドイツ文化とフランス文化の両方がある地域で、今でもフランス語の方言を話す住民とアルザス語を話す住民がいる。

同盟(アリアンス)はフランスによって崩された。1670年、アルザスを手に入れたフランスはロレーヌを占領、ロレーヌ公家はウィーンに亡命し、ハプスブルグとの縁が深くなる。
その後、領地を取り戻したが、また占領されて、オーストリアに亡命、マリー・アントワネットの祖父の代で再び取り戻した。祖父が死去して、フランツ1世が継いだ。

フランツ1世は、すでにマリア・テレジアと婚約済だった。ルイ15世は公位と領土を放棄しなければ結婚は認めない、と迫った。フランツ1世はかなり悩んだが、領土よりマリア・テレジアとの結婚を選んだ。最大の理由は愛していたから。早くに婚約したとはいえ、相思相愛の仲になり、昔の王侯貴族では珍しい恋愛結婚だった。

ルイ15世は、王妃の父で元ポーランド王スタニスラス・レシチニスキをロレーヌ公に据えた。
スタニスラス・レシチニスキはロシアの介入で王位を失い、フランスに逃れていた。88歳で没するまで30年近く、ロレーヌで過ごした。一代限りの公位だったため、死後はフランス王家の直轄領になった。

その後はアルザスと運命を共にする。普仏戦争後にドイツ領になり、第一次大戦の激戦地で、終戦後はアルザスと共に独立したが、フランスに占領された。

第一大戦後、ポーランド、バルト三国、ハンガリー、チェコスロバキア、ユーゴスロバキアは独立した。戦勝国が民族自決主義をソ連の封じ込めに利用した部分が大きい。アルザス=ロレーヌは、このソ連封じ込め地帯から遠く「おまえら独立しても意味ねーじゃん」な扱いだった。

第二次大戦中はナチスドイツに占領され、戦後はフランス領に戻った。アルザス語を話す住民がいるため、同化政策が行われた。

ロレーヌの名物料理はキッシュ・ロレーヌ。「キッシュ」の語源はドイツ語の「クーヘン」です。バウムクーヘンのクーヘン、英語やフランス語のケークとほぼ同じ意味。


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