いのたまメンタルヘルス会議室/運営日誌
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[ママン、うちは呼び捨て禁止のはずですよ?](2011/01/16(Sun.) 15:33)
30年以上たつのに、未だに父の命日に慣れない。妙に気が短くなって、イライラしやすい。なので、1月10日前後は要注意期間にしてる。

去年の年末、母から支離滅裂な手紙が来て、今年は例年よりしんどかった。愚痴だらけの手紙や葉書は年に何度か来るし、年のせいだと割り切れる。だが、今回は事業の借金を残して死んだ父を罵っていた。いつもは「パパ」と書くのに、今回は下の名前を呼び捨てだった。

私の実家では、20年以上前から家族を呼び捨てにしない。兄が社会人になった時、母が「さん」づけで呼ぶようになってから「一人前の人間を呼び捨てにしない」が習慣になった。母も兄も、決して私を呼び捨てにしない。

母の実家は、高齢になった今も「まーちゃん」「かっちゃん」と子ども時代の愛称のままだ。だから、母のやり方は「頼らないで」という一種の拒絶を感じる。まあ頼る気は毛頭ないから、ちょうど良い、と人生の半分を過ごしてきた。

その母が、今になって父を呼び捨てにして、罵詈雑言を呪詛のように並べたる。父が残した借金は2億円超。母、親戚、近所の人たちの心配は、15歳だった私が売られることだった。だから、自分から家に来る借金取りを追い返した。
結果的には、半端でない額が幸いした。三回忌を迎える前に、母はすっかりメリー・ウィドウ(陽気な未亡人)と化して、夕飯は私が週6日つくっていた。今さら何を言う?

いや、母は自分だけが苦労したと思い込み、「だから、子どもに尽くされて当然」と考えている。私たち兄妹は全員、相応の苦労をしたが、母は全力で否定する。
他にもいろいろあって、できるだけ距離を置くようにしている。

今年の命日は前後2週間ほど苦しかった。その中で、一つ気づいたことがある。

私は父を恨んだことがない。ずいぶん怖い思いをした。寂しい、悲しいといった感情は何度も持った。だが、父を恨む気持ちを持ったことは一度もない。
これだけは言い切れる。


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