いのたまメンタルヘルス会議室/運営日誌
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[シャンド姓](2020/05/18(Mon.) 06:23)
イギリスのカミラ妃の父は、ブルース・シャンド。 ダイアナ元妃の実母の再婚相手は、ピーター・シャンド=キッド。シャンド姓は他に聞いたことない。調べたら、綴りが複数あって、
Chand、Shand、Schand、Shawand、Shaundeなど
2系統あり、一つはノルマン・コンクエスト(1066年)でフランス北部から移住してきた一族。由来はChandaiという町。
もう一つはスコットランド東部、アバディーンのあたり。エディンバラの北東、列車で2時間半ほど。12世紀、アバディーン・シャーで議会に議席を持っていた記録がある。アレクサンダーの短縮形という説が有力だけど、こちらはより古い形はラテン語だった説。
https://sooty.nz/shandname.html
カミラ妃の父方、 ダイアナ元妃の実母の再婚相手は、両方とも後者がルーツ。先祖の出身地は近いです。スコットランドの面積と人口は、北海道とほぼ同じだから、釧路と根室をイメージすると分かりやすいかも。
地域性が強く、少ない姓です。カミラ妃の父方シャンド家を遡ると、アバディーンの Burgess、イングランドとは意味が違い、郷士のような階級。
有力氏族レスリー家やフォーブス家と閨閥を持ち、18世紀初頭、バンフ市の市長に。当時の市長は、基本的に地主です。
次の代はアバディーン・シャーのクレイグリーのLaird、スコットランドの称号で、男爵の下。クレイグはゲール語の「岩」が由来で、オンライン辞書を頼りに分解すると、岩釣りができる土地ですかね....。
18世紀、ジャコバイト蜂起に加わった氏族は身分や財産を剥奪された。スコットランドの氏族社会が解体する中、シャンド一族は頭角を表していく。19世紀には貿易で富を築いたり、法曹になって、ヴィクトリア朝の新興ジェントリという感じ。
19世紀は複数のアレクサンダー・シャンドがいた。一人はカミラ妃の曾祖父で、法廷弁護士。アバディーン出身の判事と弁護士が一人ずつ。
日本と縁が深い同姓同名は、明治時代の大蔵省お雇い外国人。アバディーン出身で、おそらく1844年生まれということ以外は不明。
さて、ダイアナ元妃の実母フランセスと再婚したピーター・シャンド=キッドは、カミラ妃の実家シャンド家と親戚なのか?
ピーター・シャンド=キッドの曾祖父はジョン・キッド、曾祖母メアリーは旧姓シャンド。曾祖母はスコットランド北東部フォーファー・シャー(現アンガス)アブロース近郊の生まれ。アバディーン・シャーの隣です。
メアリーの父親はモントローズ(アバディーンとダンディーの中間に位置する港町)のウィリアム・シャンド。長男はジェームス、次男ウィリアム。長男には父方祖父の名、次男に母方祖父の名を付ける風習はヨーロッパ各地にあった。
この次男ウィリアム(1864年ー1936年)が壁紙デザイナーになり、シャンド=キッド姓を名乗って、1905年にロンドンで設立した壁紙会社は、
Shand Kydd LTD.
植物モチーフやダマスク柄でお洒落。30才上のウィリアム・モリスを彷彿させる。ウィリアムが10代の時、アーツ・アンド・クラフツ運動が起きたから、影響を受けたのでしょう。今はカーテンや陶器も製造してます。
壁紙デザイナーとして成功するには、キッド姓では難しかったと思う。洒落た壁紙のターゲットは、中流階級より上。シャンド姓の成功者は、カミラ妃の曾祖父や祖父、アバディーン出身の判事と弁護士。プロのサッカー選手もいた。貿易商やブローカーが多い一族だから、他にも裕福な家があったでしょう。
血縁関係は不明だけど、地縁は深い。シャンド=キッド姓を名乗ることで得たメリットは大きかったはず。血縁関係はメアリー・シャンドの父親が鍵だけど、アレクサンダーとウィリアム、ジェームスが多かった一族。特定が難しいです。
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